神社合祀に関する意見(口語訳5)
南方熊楠
(神社合祀の悪結果 第1〜2)
これより予は一般に現われた合祀の悪結果を、おおよそ分類して記そう(※熊楠は8つに分類※)。
第一
神社合祀で敬神思想を高めたとは、政府当局が地方官公吏の文書に騙されているのだ。
電車鉄道の便利がなく、人力車すら多く通じない紀州鄙地の山岳重畳、平沙渺茫たる所にあっては、到底遠路の神社に詣でることはできない。故に古来最寄りの地点に神を勧請し、社を建て、産土神(うぶすながみ)として朝夕参り、1日と15日には、必ず村民みなみなが参り、もって神恩を感謝し、聖徳を仰ぐ。
『菅原伝授鑑』という戯曲三段目に、白太夫という百姓の老爺(ろうや)が70歳の祝いに、3人の息子の嫁が集い来て料理を調える間に、72文の賽銭と嫁に貰った3本の扇を持ち、
子供の将来を氏神へ頼んだり見せたりしようとして、いまだその社を知らない一人の息子の嫁を伴い参詣するところがある。
田舎には合祀前どの地にも、このような質朴で和気あいあいとした良風俗があった。平生は農耕や養蚕で多忙でも、祭日ごとに嫁も里へ帰って老父を見舞い、婆は三升樽を携えて孫を抱きに嫁いだ娘の在所へ行ったのだ。かの小さく窮窟な西洋の礼拝堂に貴族富豪だけが車を馳せて説教を聞きに行くのに無数の貧人は道端で黒パンを噛んで身の不運をかこっているのと天と地の違いである。
このようにして大字ごとに存する神社は大いに社交をも助け、平生頼んでいた用向きの話も祭日に片付き、麁闊(そかつ)であった輩も親しみ合い、仲よくしたのだ。只今のように産土神が往復山道1里(※1里は約3.9km※)あるいは5里、はなはだしいのは10里も歩かなければ詣でることができないとあっては、老少婦女や貧人は、神を拝し、敬神の実を挙げることができない。
前述の一方杉のある近野村のごときは、去年秋、合祀先の禿山の頂の社へ新産婦が嬰児とその姉である小児を伴い詣ったが、往復3里の山路を歩みがたく中途で3人の親子途方に暮れ、ああ誰かわが産土神(うぶすながみ)をこのような遠方へ拉致して行ったのかと嘆くのを見かねて、1里半ほどその女児を負い送り届けやった人がいると聞く。
西牟婁郡三川豊川村は山嶽重畳、一村の行程は高野山を含める伊都郡(いとごおり)に等しいと称す。その20大字32社を減じて、ことごとく面川(めんこ)の春日社に併せ、宮木をことごとく伐って2000余円に売りながら、本社へは800円しか入らない。さてその神主は田辺へ来て毎度売婬女に打ち込み、財産差押えを受けた。この村は全く無神になり、また仏寺をも潰しおわり、仏像を糞担桶(こえたんご)に入れ、他の寺へ運ばさせた。村長の家高(いえたか)某という者は、「世に神仏は無用の物である。万事、村長の言葉をさえ遵奉すれば安寧幸福である」との訓えである。
新井白石が『藩翰譜』に、三春藩主の秋田氏が暴虐であったことを述べて、その民の娘が「年が長じても歯を黒く染められない(※江戸時代、歯を黒く染めることは既婚婦人のしるしでなった※)」と言ったことをさえ苛政の一例に思われたが、今はまた何でもない郡吏や一村長の一存で、村民が神に詣で名を嬰児に命ずる式すら挙げることができないというのもひどいことだ。
その様子はあたかも17世紀に、英国内乱に際し、旧儀古式を全廃し、セントポール大聖堂を市場と化し、その洗礼盆で馬を水浴させ、愚民が「私は神を信じない、麦粉と水と塩を信じる」と騒がしく言い、僧に向かって「汝自身の祈祷一俵を磨場(つきや)に持っていき磨(ひ)いて粉にして朝食を済ませよ」などと罵ったのと同じである。
『智度論』で、恭敬は礼拝に起こると言っている。今すでに礼拝すべき神社がない、その民はいかにして恭敬の何たるかを理解するのか。すでに恭敬を知らない民を作り、そのうえで後日、年長者目上の者に従順であることを望むのは、はなはだしき矛盾ではないだろうか。
このように敬神したくても、敬神すべき拠り所がすっかり失われていては、ないよりは優っているという心から、いろいろの淫祀を祭り、蛇、狐、天狗、生霊などを拝し、また心ならずも天理教、金光教など祖先と異なる教に入って、先祖の霊牌を川へ流し、田畑を売って大和、備前の本山へ納め、流浪して市街へ出て、米つきなどして気ままに生活する者も多く、病いを治すといって大食いして死する者もあり、腐った水を飲んで失心する者もある。改宗はその人々の勝手次第であるが、知らず知らずのうちにこのような改宗を余儀なくさせた官公吏の罪ははなはだ重い。合祀はこのように敬神の念を減殺する。
第二
神社合祀は民の和融を妨ぐ。
例えば、日高郡御坊(ごぼう)町へ、前年その近傍の漁夫が命より貴ぶ蛭子社(えびすしゃ)を合併したため、漁夫が大いに怒り、一昨夏、祭日に他の大字民と市街戦を演じ、警吏などの力及ばず、ついに主魁9名の入監を見るに及び、所の者はことごとく合祀の弊害に懲り果てた。
わが邦人は宗教信仰の念に乏しいと口癖に言うが、実際合祀を濫用して私利を計る官公吏や、不埒千万にも神社を潰して大悦びする神職は知らず、下層の民ことに漁夫らはひじょうに堅固な信心をもち、言わば兵士に信心家が多いがごとく、日夜、板一枚の命懸けの仕事する者どもゆえ、朝夕身の安全を蛭子命に祈り、漁に打ち立つときは獲物あるごとに必ずこれに拝詣しお礼参りし、海に人が落ち込んだときは必ずその人の罪を祓除(ふつじょ)し、不成功の度ごとに罪を懺悔して過ちを改め、尊奉が絶えないのだ。
しかるに海幸(うみさち)を守る蛭子社を数町(※1町は約109m※)あるいは1、2里(※1里は約4km※)も陸地内に合併されては、事あるごとに祈願することができず、兵卒が将校を失ったごとくに歎いていて、そのために合祀の行なわれた漁村にはいろいろの淫祀が代わって行なわれており、悪人が乗じて私利を営むところとなる。これは、角をまっすぐにしようとして牛を殺しているのと同じことである。
学者や富豪に悪賢い人物が多いのに引きかえ、下民は常に命運の薄いのを嘆くより、したがって信心によって諦めをひらこうとする念が深く、何の道義論哲学説を知らないながらも、「姦通すると魚が捕れなくなる」「嘘をつくと神罰が立ちどころに下る」と心得、そのために不義に陥らないことは、あたかも121代の至尊の御名を暗誦せずとも、誰も彼も皇室を敬するのを忘れず、皇族の芳体を睨むと眼が潰れると心得て、5歳の小児も不敬を行なわないのと同じである。
難しい理屈が入らずに世が治まるほど結構なことはなく、分に応じてその施設があるのは欧米もまたその通りである。フィンランド、ノルウェーなどには、今も地方に吹いたら飛ぶような木の皮で作った紙製[#「紙製」に〔ママ〕の注記]の礼拝堂がある。雪中に一週に一度この堂に人を集め、世界のニュースを報じ、郵便物の配布まで済ませている。老若男女が打ち集い限りなく歓喜する。別に何という難しい説法があるのではない。
イギリスなども、漁村には漁夫・水手(かこ)相応の手軽な礼拝堂がある。これに詣る人たちには難しい作法はなく、ただ命の洗濯をするまでのことである。はなはだしいのは、コーンウォール州に、他州人の船が多く難破して、自分のところの漁獲量が多くなることを祈り、立てた寺院すらあるのである。それは行き過ぎであろうが、漁夫より漁神を奪い、猟夫より山神を奪い、その祀りを滅するのは治道の要に合わない。ましてや、山神も海神もいずれもわが皇祖の御一族たる日本においてはいうまでももないことだ。神威を滅するのは、取りも直さず、皇威に及ぼすところありと知るべきである。
西洋に上帝を引いて誓い、また皇帝を引いて誓うことが多い。まことに聞き苦しいことである。わが国でも『折焚く柴の記』に、何かいうと八幡神などの名を引いて誓言する老人がいたのを、新井白石の父がまことに心得の悪い人であると評したことが出ていた。だから、梵土には表面梵天を祀る堂なし。これは見馴れ聞き馴れてしまうことで、その威を汚すのを畏れてのことである。
近ごろ水兵などが、皇室の御名を呼ばわって人の頭を打ち、また売婬屋で乱暴などするのを見たことがある。言わば大器小用で、小さき民や小さき所には、たとえ誓言するにも至尊や大廟の御名を引かず、同じく皇室御先祖の連枝(れんし)ながらそれほどまでは大義に触れない夷子社(えびすしゃ)や山の神を手近く引くほどの準備は許して置いてもらいたいことである。
教育が到らない小民は小児と同じで、知らずに罪に陥るようなことを、なるべく防いでもらいたい。故に、あまりに威儀厳重な大神社などを漁夫、猟師に押しつけるのは事件のもとである。また日高郡原谷(はらたに)という所でも、合祀の遺恨より、刀で人を斬ったことあった。東牟婁郡佐田(さだ)および添の川(そえのかわ)では、一昨春合祀反対の暴動すら起こった。
また同郡高田(たかだ)村は、白昼でも他村人が一人で往きかねるさびしい所である。その南檜杖(みなみひつえ)大字の天王の社は、官幣大社三輪明神(みわのみょうじん)と同じく社殿なく古来老樹のみ立っている。しかしながら、社殿があれば合祀を免れると聞き、わずか十八戸の民が500余円を出し社殿を建てた。この村は三大字のそれぞれに一社あり、いずれも十分に維持して来たのを、41年になって一村一社の制を振りまわし、せっかく建てた社殿を潰し他の大字へ合祀を命じたが、どの大字一つへ合祀すべきかが決まらない。
43年2月末、郡長がその村の神社関係人一同を郡役所へ招き、無理に合祀の位置を郡長に一任と議決させて、その祝賀といって新宮町の三好屋で大宴会し、酒280余本を飲み一夜で80円使わせて、村民は大不服で合祀承諾書に調印しない。
総代輩は困り果てて逃げ隠れ、その後召喚しても出頭しない。よって警察所は罰令により1円ずつの科料を課せた。このようにして前後七回遠路を召喚されたが、今も片付かないと、神社滅亡をいつも喜悦しているキリスト教徒すら、官公吏の無法な行為を厭い、告げに来た。これらのことにより、合祀は民の和融を妨げ、加えて官庁の威信をみずから損傷するを知るべきである。
「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収
