南方熊楠のキャラメル箱

神社合祀に関する意見(口語訳8)

神社合祀に関する意見(口語訳)

  • 1 神社合祀の問題点
  • 2 三重県で神社数が7分の1に
  • 3 熊野の惨状
  • 4 熊野古道の惨状
  • 5 神社合祀の悪結果 第1〜2
  • 6 神社合祀の悪結果 第3
  • 7 神社合祀の悪結果 第4
  • 8 神社合祀の悪結果 第5〜6
  • 9 神社合祀の悪結果 第7
  • 10 神社合祀の悪結果 第8
  • 11 至極の秘密の儀法

  • 神社合祀に関する意見(口語訳8)


    南方熊楠




     (神社合祀の悪結果 第5〜6)





     第五
     神社合祀は愛国心をおびただしく損ずる。


     愛郷心は愛国心の基である、とドイツの詩聖は言った。

     例を挙げると、紀州地方より海外に出稼ぐ者が多いが、つねに国元へ送金して、まずその一部分を自分の産土神に献じ、また出稼ぎ地方の方物異産を奉り、故郷を慕う意を表す。

     西牟婁郡朝来(あっそ)村は、従来由緒もっとも古き立派な社が三つあったが、例の5000円の基本金に恐れてことごとく伐林し、只今路傍に憩うことができる樹林は皆無となった。

     その諸神体を、わずかに残った最劣等の神社に抛り込み、全村無神のありさまで祭祀も三年来中止している。そのため、その村から他処へ奉公に出る若者らは、ときおり自村に帰っても面白味がないのでといって長い間、帰省しない。

     芳養(はや)村も由緒ある古社を一切合祀したため、長さ三里ほどの細長い谷中の小民は、何の楽しみもなく村外へ流浪して還らない者が多く、その地第一の豪農すら農稼に人を傭うのに方法がなく非常に困り、よって人気(にんき)直しに私的に諸社を神体なしに再興した。

     これらのことから合祀がいかに愛郷心を殺減するかを見ることができる。神職が無惨不義で、私慾のために諸神社を検挙し撲滅してから、愛国心などを説いても誰も傾聴しないのは、すでに上述した。

     例を挙げると、西牟婁郡高瀬という大字の神職は、かつて監守盗罪で処刑された者である。自分の社へ他の諸社を合祀せしめて、その復旧を防ごうと念を入れて自大字の成年男子を傭い、他大字の合祀趾の諸社殿を破壊させたが、到る処の他大字の壮漢に逆撃されて大敗し、それから大いに感情を悪くし、すでに復社した社が二、三ある。

     君子交り絶えて悪声を放たずと言うのに、自己の些細な給料を増そうとして、昨日まで奉祀して衣食の恩を受けていた神の社殿を、人を傭ってまでも滅却しようとする前科者の神職があるのも、太平の世の隠れた逸事か。

     また日高郡矢田村の大山神社は、郡中一、二を争う名社で、古え国司がこの郡で三社のみを官知社として奉幣したその一社である。

     その氏子の一人が、その社の直下に住む者が自分を神職として日勤する劣等の社が村役場に近いのを村社と指定し、村民が他の諸社を大山神社へ合祀しようとして作った願書を変更して、大山神社を件(くだん)の劣等の社へ合祀しようと請うように作り、合祀を強行させようとしたが、熊楠は祖先が400年来この社を奉祀してきて、かつ徳川吉宗公以降幕府による毎々の修補があり、旧藩侯からも社家十人までも置かれた大社であって、只今の社殿、廻廊等、善を尽くした建築はことごとく自分一族の寄進に係る由緒があることを理由に抗議を申し込み、県知事はその意見をもっともであると認めた。

     すでに年4、50円の入費で存置を認可しているが、郡村の小吏らは今だ明治39年の勅命のみを振りまわし、その後の訓示、内達等を一切知らない振りをして、基本金を責め道具として合祀を迫ることが止まない。

     このような不埒の神職が少々の俸給を増して得ようとして、祖先来400年以上奉崇して来た古社を滅却しようとする心をもって愛国心などを説いたとして、誰がこれを信じるだろうか。こんな小人は日和次第でたちまち敵軍のために自国をも売るだろう。

     要するに人民の愛国心をはなはだしく滅却するのは、我利一偏の神職、官公吏の合祀の遣り方である。今も日高郡などは、一村に指定神社の外の社を存置しようとすると、その大字民はその大字の社の社費と、それからまた別に指定神社すなわち大字外の社の社費を、二重に負担せざるをえない。これが39年の勅令の定めたところであるとして人民を苦しめ、そのために大字限り保存することができる名社を、止むを得ず合併させるのである。大山神社ごときは、県知事がすでにその独立を許可されたが、郡吏はこの二重負担の恐ろしさを説いて、今にも合併しようとつとめている。

     第六
     神社合祀は土地の治安と利益に大害がある。


     むかし孔子に子貢が尋ねたことには、殷の法に灰を町に棄てた者を足切りの刑に処せるのは苛酷すぎるのではないか、と。孔子が答えて言うには、決して苛酷ではない、灰を町に棄てれば風が吹く度に衣服を汚し、人々は不快を懐く、自然に喧嘩が多くなり大事を惹き起こすだろう、故に一人を刑して万人が慎むための法である、と。

     西洋諸国が、土一升に金一升を惜しまず専心して公園を設けるのも、人々に不快の念を懐かさせず、民心を和らげ世を安んじようとするのである。わが邦は幸いに昔から大字ごとに神社があり仏閣があって人民の労働を慰め、信仰の念を高めると同時に、一挙して和楽慰安の所を与えつつ、また地震、火難等の折に臨んでは避難の地を準備したのである。

     今聞くがごとくんば、名を整理に借りてこれら無用のようであるが実は世を治めるのに大用ある諸境内地を狭めようとするのは、国のためにすこぶる憂うべきことである。

     近ごろ本邦は村落の凋落がはなはだしく、百姓は農業を楽しまず、相率いて都市に流浪し出して、悪事をなす者が多い。これを救済しようとして山口県などでは盆踊りをすら解禁し、田中正平氏らはこれを主張する。このような弊事多いことすら解禁して村民を安んぜようとするが、盆踊りは年中踊り通すべきものではない。

     さて一方では神社のように清浄無垢在来通りで何の不都合もない本邦固有特色の快楽場を滅却させ、富人豪族が神社跡に別荘を立て、はなはだしきは娼妓屋を開きなどするので、貧民の婦女児童は従来と異なり、また神社に詣でて無邪気な遊戯を神林中で催すことができない。

     大通りに寝転んでいて自転車に傷つけられ、田畑に踏み込んで事を起こし、延いて双方の親同士の争闘となり、郷党二つに分かれて大騒ぎし、その筋の手を煩わすなどのことが多いのは、取りも直さず、灰を市に棄つるを禁ぜずして国中に争乱が絶えなくさせると同じく、合祀励行の官公吏は、 ことさらに町に灰を撒いて、人民を争闘させるのに同じだ。

     従来誰も彼もがそこに行って遊び散策し、清浄の空気を吸い、春花秋月を愛賞することができた神社の趾が、ある日富家の独占に帰するのを見て、誰がこれを喜ぶだろうか。貧人が富人を嫉むのは、多くはこのようなことから出るのである。危険思想を慮る政府が、このような不公平を奨励すべきではない。

     また佐々木忠次郎博士は昨年10月の『読売新聞』に投書し、欧米には村落ごとに高塔があって、その地の目標となる、わが邦の大字ごとにある神林は欧米の高塔と等しくその村落の目標となる、と言った。

     漁夫など無学な者は海図などを見ても分からず、ふだん山頂の木また神社の森だけを目標として航海する。洪水または船が難破した際に神林を目的に泳いで助かり、洪水や津波の後に神林を標準として他処の境界を定める例は多い。

     摂州三島郡、また泉州一円は合祀濫伐のため神林全滅し、砲兵の演習に照準を失い、兵士は休息と露営に事を欠き、止むを得ず田畑また砂浜でするため、日射病の患者が急に多くなった、と聞く。はなはだしい場合は、合祀伐木のため飲料水が濁り、また涸れ尽きた村落がある。

     また同じく佐々木博士が言ったように、政府は田畑山林の益鳥を保護する一方で、狩猟が大いに行なわれ、ややもすれば鳥獣が絶滅に瀕している。今のように神林が伐り尽されては、たとえ合祀のため田畑少々開けて有税地が多くなり、国庫の収入が増加するとも、一方で鳥獣絶滅のため害虫が異常に繁殖して、そのために要する駆虫費は田畑の収入で足らなくなるようになるだろう。

     去年12月に発表された英国バックランド氏の説によると、虫類の数は世界中他の一切の諸動物の数にはるかに優る。多くの虫類は、1日に自身の重量の2倍の草木を食い尽す。馬一疋が1日に枯草1トン(270貫余)を食べるのと同じ割合である。これを防ぐには鳥類を保護繁殖させる以外ない。また水産を興そうにも、魚介に大害ある虫蟹を防いで大悪を防ぐものは鳥類である、とのことだ。

     なので近江の辺りで古来今に至るまで田畑の側に樹を多く植えているのは無用の至りであるといって浅智の者は大笑いするが、実は害虫駆除に大功があり、非常に費用を節約する妙法というべきである。

     和歌山県には従来、胡燕(おにつばめ)が多く神社に巣くい、白蟻、蚊、蠅をおびただしく平らげる。近来合祀などのためにはなはだしく少なくなった。熊楠在欧の日、イタリアの貧民が蠅を餌として燕を釣り食べることが大いに行なわれ、そのために仏国へ燕が渡ることが少なくなり、蚊が多くなって衛生を害するといって、仏国よりイタリアへ抗議を申し込んだことがある。やれ蚊が多くなった、熱病を漫布するとて、石油や揮発油のような一時的な物を買い込み撒きちらすよりは、神社の胡燕くらいは大目に見て生育させてやりたいことである。

     また和歌山の辺りには蟻吸(ありすい)という鳥が多かった。これは台湾のセンザンコウ、西大陸のアリクイ、濠州のミルメコビウス(食蟻袋獣)、アフリカの地豚(アルド・ワルク)と等しく、長い舌に粘液があり、常に朽木の小孔に舌をさし込めば、白蟻たちが大いに怒ってこれを刺そうと集まるところを引き上げ食い尽す。

     日本の蟻吸のことはよく研究していないため知らないが、学者の説に、欧州に夏渡り来る蟻吸と日本へ夏渡るものとは別種と認めるほどの差違なしとのことであるので、多分同一種で少々毛色くらいが異なるのだろう。欧州のものは、一夏に10あるいは22個の卵を生む。日本のものも必ず少なくとも10や15は生むだろう。保護さえ行き届くならば、たちまち夏ごとに群で飛来して繁殖し、白蟻を全滅はせずとも従来のごとくあまり大害を仕出さぬよう、その兇勢を抑制する功はあるだろう。

     それなのに何の考えもなく神林を切り尽し、または移殖私占させてしまったため、この国ばかりに日が照らぬと憤って去って他国へ行き、和歌山辺へ来なくなった。そのために白蟻が大いに繁昌し、ついに紀三井寺から和歌山城の天主閣まで食い込み、役人らはなすところを知らずてんてこ舞いを演じ、硫黄でいぶそうとか、テレビン油を撒こうとか、愚案の競争の末、ついにこのたび徳川侯へ払い下げとなったが、死骸を貰ったのも同然で行く先も知れている。

     むかし守屋大連(もりやのおおむらじ)は神道を頑守して仏教を亡ぼそうとし、自刃させられて啄木鳥(てらつつき)となり、天王寺の伽藍をつつき散らしたというが、和歌山県当局は何の私怨もないのに、熊楠が合祀に反対するのを憎み、18昼夜も入監させたから、天が白蟻を下し、諸処を食い散らしになったものと見える。

     ただ惜しむべきは、和歌山城近くに松生院(しょうしょういん)といって建築が国宝になっている木造の寺がある。この寺は古え讃岐にあったとき、その戸を担架として佐藤継信が負傷のままこの寺にかつぎ込んだという。これも早晩城から白蟻が入り来て、食い崩されることだろう。蟻吸のことは学者たちの研究を要す。今は和歌山の辺りに見えず、田辺の近傍へは少々渡る。合祀が民利に大害あることは、このようなことである。

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    「神社合祀に関する意見」は『南方熊楠コレクション〈5〉森の思想』 (河出文庫)に所収




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